丹頂の鶴
久生十蘭
底本:「久生十蘭全集 4[#「4」はローマ数字、1-13-24]」三一書房
1970(昭和45)年3月31日第1版第1刷発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志、小林繁雄
丹頂の鶴
久生十蘭
甲斐守は、寛容な面もちで、人もなげな藤波の話をききすましていたが、この時、言いようのない温和な笑顔をうかべて、
「上司を蔑(なみ)するごとき言葉の数かず、役儀熱心のゆえと解してそれは忘れてとらすが、……では藤波、はばかりなく大言する以上、このたびのお鶴吟味には、さだめし、確たる推察(みこみ)があるのであろうな」
顔もあげずに、藤波、
「ございます」
甲斐守は思わず乗りだして、
「おッ、推察がついたか。して、『瑞陽』は死したるか、殺されたるか」
「殺されたのでございます」
「して、その次第は?」
「その次第は、鶴御成の前日に『瑞陽』が死んだという、一点にかかっております。前日まですこやかであったものが、さしたるわけもなくこの日に死んだというのが不思議。かならずや、なにかわけあいのあることに相違ございませぬ。……ここのところを突きさぐれば、この事件はわけもなく解けあうはず。下手人はかならずかこい場のうちにあると見こみをつけました。そのわけあいも、わたくしには、うすうすわかっております」
「それは?」
藤波は首をふって、
「ひょっとすると、人間ひとりの命にもかかわる重大な事柄。推察だけで、迂濶にそれを申しあげることはできかねます。委細は、よろず見分の上、とどこおりなく開陳(かいちん)いたします。なにとぞ、それまでは」
というと、急に甲斐守の顔をふりあおぎ、
「それについて、ひとつ、お願いがございます」
「申して見よ。身にかのうことならば、どのようなことでもきいてとらせる」
「どうか、乗継(のりつぎ)の早駕籠を一挺」
「早駕籠を、どうする」
「申しあげるまでもございません。これから上総へ顎十郎を探しにまいるつもりなのでございます。どうせ、しょんべん組の連中のことですから、ひろい利根すじでマゴマゴしてるばかりのこと。とても今日じゅうには埓があきますまい。……畝川(あぜがわ)の枝々、乗っこみのあたり場には、わたくしに少々心得があります。はたして利根すじにおるものなら、段々に川すじに追いこんで、どんなことがあっても明日の夜あけまでには引っつれて戻るつもりでございます。……くどいようですが、わたくしももう必死。……この一期をはずしちゃア、死にきれません。たとえ草の根をわけても……」
それから、半刻のち、まだ暮れ切らぬ大橋の上を、先がけの声もけたたましく、流星のように東へ飛ぶ早駕籠一挺。