丹頂の鶴
久生十蘭
底本:「久生十蘭全集 4[#「4」はローマ数字、1-13-24]」三一書房
1970(昭和45)年3月31日第1版第1刷発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志、小林繁雄
丹頂の鶴
久生十蘭
折蘆(おれあし)
いちめんの枯蘆原(かれあしわら)。
水杭の根に薄氷(うすらひ)がからみ、折蘆のあいだで、チチと鋭い千鳥の声がきこえる。
小松川と中川にかこまれた平井(ひらい)の洲。川のむこうはもう葛飾(かつしか)で、ゆるい起伏の上に、四ツ木、立石(たていし)、小菅などの村々が指呼(しこ)される。
ようやく東が白んだばかりで、低い藁屋から寒そうな朝餐(あさげ)の煙が二すじ三すじ。
欠けこんで、すこし淀みになった川岸の枯蘆の中にしゃがんで、釣糸をたれている三十三四の武士くずれ。馬鹿げた長い顎をつンのばして、うっそりと浮木(うき)を眺めている。垢染んだ黒羽二重の袷に冷めし草履。釣をするなんて恰好じゃない。追い立てを喰った七ツさがりの浦島が、いまこの岸にうちあげられたといった体。
もとは、甲府勤番の伝馬役。そいつを半年たらずで見ン事しくじり、与力の叔父の手びきでやっと北町奉行所の下ッぱに喰いついているケチな帳面繰り。
藤波友衛が、必死の覚悟で房州までさがしに行った、これが当の顎十郎、ひとの気も知らないで、こんなところで、薄ぼんやりと鮒を釣っている。
もっとも、顎十郎ひとりじゃない。
そのかたわらに見るから憐(あわ)れをもよおすような、病みやつれた六十ばかりの老爺(おやじ)、下草にべったりと両手をつき、水洟(みずばな)をすすりながら、なにかクドクドとくり言をのべている。
「……ただいまも、申しあげたように、もとは、中国でも名のある家柄。馬まわりにて五百石をたまわり、なに不自由なく暮したこの身が、ふとしたことで扶持(ふち)に離れ、それ以来ながらくの浪々。……せがれの伝四郎ことは、かく申すは憚(はばか)りながら、若年のころより弓術に秀で、なかんずく、大和(やまと)流の笠懸蟇目(かさがけひきめ)、伴(ばん)流の※(「知」の「口」に代えて「舟」、第4水準2-82-23)(くろろ)ともうす水矢(みずや)をよくいたしますなれど、うらぶれはてたる末なれば、これを世にだすよすがもなく、ついこのさきの小村井(おむらい)のはずれに住みついてしがない暮しをいたしておりましたるうち、嫁はなれぬ手仕事に精魂をつかいはたし、昨年の秋、六つをかしらに四人の子を残して死亡(みまか)り、うってくわえて妻は喘息、それがしは疝痛(せんつう)。ふたり枕をならべてどっと病みふす酸苦(さんく)。伜のひとつ手ではとうてい七人の口をすごしかねる。日々のたつきも立ちませぬところから、さまざま奔走のすえ、ようやくありついたお飼場下飼人の役。一家七人が糊ほどのものを口に入れることが出来るようにはなりましたが、世が世であれば、馬まわり五百石。多端の折から、あっぱれ花も咲かすべきその身が、下司塵垢(げすじんこう)の下飼人。いやな顔ひとつ見せるどころか、かいがいしいばかりのつとめ孝養。見るにつけ思うにつけ、あまりといえば……あわれ」
というと、草にくらいついて、せきあげて泣き出した。
顎十郎は、ゆっくり浮木から眼を離し、
「それで、死のうとなすったか」
「は、はい。……せめて、ひとりの口なりともと存じまして……」
「……そりゃア悪い了見(りょうけん)だの、考えがちがう。……あなたを生かしておきたいばっかりに、伝四郎氏(うじ)とやらが苦労する。それを……、それを、あなたが死んじまったんじゃア身も蓋もない。五百石とって、つき袖でそっくりかえって歩くばかりが、この世の幸福(しあわせ)じゃねえ。喰うものを喰わずとも、親子そろってその日が送られるというのは、なんにもまして有難いこと。……なんて言って見たところで、しょうがない。……よろしい、手前が、なんとかしましょう」
「なんとおっしゃいます」